四半世紀の其の先は
ひとつ歳をとった。これで四半世紀生きたことになる。
いっそ堕ち切ってしまえばいいと思いながら重い足を引き摺り、目にしたあらゆるものに自分の苦しみを重ねる日々ばかりだったと思う。その苦しみを紛らわさんとばかりに安易な快楽を積み重ねた日々だとも。
しかし、そんな沼の中でもがき、顔を出せた瞬間に得たものには大きな価値があると思っている。確信めいたものがある。
思えば、人生なんてそんなものなのかもしれない。
一部の「努力を努力とも思わない層」を除いて、みな苦しみに打ち拉がれそうになるのをぐいと堪え、社会の仮面を被って生きているのかもしれない。
自分が思っていたよりも、自分の思い描く「普通」は困難だったのだ。それを外に出すか否かの差でしかなかった。
だからこそ。四半世紀の其の先は。
・うまく行くわけがない。だからうまく行った時はちゃんと褒めていい。
・「うまく行った状態」を100万通りの言葉で表現する。そして「うまく行った状態」になりたいと心から思い、行動すること。
・すべては「物事をうまくいかせるための方法を考え、実践し、改善する」という作業/繰り返しに過ぎない。それでいい。
・疲れて自分に言い訳したくなる時がある。「自分はよくやっているだろう」と。確かによくやっている。しかし、他人は努力というゲタを履かせてくれない。それも当たり前で、それでいい。
・正論に殴られ慣れよう。笑われて当たり前、後ろ指さされて当たり前。笑ってきた人たちを黙らせるための作業でしかない。
繊細すぎた自分は棄てていい。心から勝ちたいと思おう。だって、本当は勝ちたいのだから。
しばらくはしょうもないモチベーションでいい。見返したいと思っていい。
走るために。走り続けるために。