覚え書き

有象無象の社会人のうちの一人が考えを整理する場所です。同じようなことを考えている方の役に立てれば幸いです。

誰かが「そこに居たい」と思える理由になること

月並みだが、私はひたむきな誰かに力を貸し続けていたいと思う。

現実に打ちのめされ、怒りや絶望に支配されそうになる度に「これではいかん」と思い出させてくれる人たち。周りにいてくれるそんな人たちに心からの感謝と、心ばかりの力添えができれば良いと考えている。

人は変わらないからと、諦めることは簡単だと思う。その通りだとも思う。しかし、人が思わず変わってしまうような、染まってしまうような環境を作ろうと考えられる彼らは、やはり私が求めていた仲間だった。

同じ景色を見たい。私では足りないかもしれないが、このまま腐っているだけではとても終わることができないじゃないか。

当てられやすいだけだと言われそうだが、そんなものは関係ない。言わせておけばいい。

自分の居場所は自分で作らねばならないと、改めて思うことができた。

四半世紀の其の先は

ひとつ歳をとった。これで四半世紀生きたことになる。

いっそ堕ち切ってしまえばいいと思いながら重い足を引き摺り、目にしたあらゆるものに自分の苦しみを重ねる日々ばかりだったと思う。その苦しみを紛らわさんとばかりに安易な快楽を積み重ねた日々だとも。

しかし、そんな沼の中でもがき、顔を出せた瞬間に得たものには大きな価値があると思っている。確信めいたものがある。

思えば、人生なんてそんなものなのかもしれない。

一部の「努力を努力とも思わない層」を除いて、みな苦しみに打ち拉がれそうになるのをぐいと堪え、社会の仮面を被って生きているのかもしれない。

自分が思っていたよりも、自分の思い描く「普通」は困難だったのだ。それを外に出すか否かの差でしかなかった。

だからこそ。四半世紀の其の先は。

・うまく行くわけがない。だからうまく行った時はちゃんと褒めていい。

・「うまく行った状態」を100万通りの言葉で表現する。そして「うまく行った状態」になりたいと心から思い、行動すること。

・すべては「物事をうまくいかせるための方法を考え、実践し、改善する」という作業/繰り返しに過ぎない。それでいい。

・疲れて自分に言い訳したくなる時がある。「自分はよくやっているだろう」と。確かによくやっている。しかし、他人は努力というゲタを履かせてくれない。それも当たり前で、それでいい。

・正論に殴られ慣れよう。笑われて当たり前、後ろ指さされて当たり前。笑ってきた人たちを黙らせるための作業でしかない。

 

繊細すぎた自分は棄てていい。心から勝ちたいと思おう。だって、本当は勝ちたいのだから。

しばらくはしょうもないモチベーションでいい。見返したいと思っていい。

 

走るために。走り続けるために。

 

痛み

流石に耐え難い痛みが降りかかってきたため、ここに残したい。

 

最早遠い過去以外の何者でもなくなった、私に巨大な跡を残したあなたが、人生を次のコマへと進めるらしい。人伝てに聞いた。

そうだ。もうあの人は私の何者でもない。そして私はあの人にとって何者でもない。しかし、私にとっては途方もなく大きな存在だ。

私が私の愚かしさに気づき、今こうして生きていられるのはあの人との衝突があったからだ。

 

限られた、狭い戦場の中で必死にもがき、足掻いて生きてきた私は、あの人の求めるものを一つも持っていなかった。

「どう生きるべきか」。それを考え続けていた彼女にとって、私は障害でしかなかったのだろう。

最期の言葉が今も耳から離れない。「このまま一緒にいるのは得策じゃないと思う」と。

 

何だ。何だよ得策って。合理的に私を切り捨てたとでも言いたげじゃないか。私は、私自身にもっと何かしらの価値があるものだと思っていた。何かしらの価値があって隣に置いてくれていると。

誠心誠意尽くしていたつもりだった。ただ、傍にいるには少しばかり形骸化していて、あなたが不意にどこか遠くにいってしまいそうなことに耐えられなかったのだ。その痛みを伝えると、あなたは私に嫌悪感を示した。その後はもう語るまでもないだろう。あなたは文字通り小さい嘘ばかり重ねて私を切り離した。

 

ここまで振り返って、ただの独りよがりだと言われればそれまでだと思う。もちろんわかっている。愛情ではなく、私は私を慰めていただけだと。あなたはそれに辟易しただけだと。解っているんだよ。

 

私は確かに愚かで、愛も、人生も、学びも、何もかも定義できていなかった。否、「未熟ながらも私はこんな答えを持っている」とすら言えていなかったのだ。

明日を望むことに怯えきって、絶望しきって、塞ぎ込んでいた日々。どう考えればいいのか分からず、恐る恐る踏み出した一歩の先にいたあなたに見惚れ、もう一つだけ勇気を出して答えに辿り着けたと思っていた。

 

私が欲しかったものはこれだと。あなただと。

 

あなたの傍でずっと、と思っていた。

 

思えば、それが最も重要なトリガーだったのではないか。

あなたは、文字通り忙しい人だった。一度だけ聞いたことがあったような気がする。「忙しくしてしまう質だ」と。

あなたは本当に依存先の多い人だった。だから私が卑しく、醜く見えたのだろう。「それで、あなたは何がしたいの?」と。

 

立ち止まって考えてみると、こんなありがちな話には何の意味もないと言われるかもしれない。

確かにその通りだよ。いくらでも言えばいい。誰にでもある凡庸な経験で、数ミリの価値もないことだ。解っている。

だが、目に見えて「否定すらしてもらえない」経験はこれが初めてだったのだ。最早関心がないのだと。一緒にいても仕方がない、価値がないと。

頭を殴られたような衝撃だった。思考を紡ぐことができなかった。「分かるよね」と。「もう終わりにするほかはないんだよ」と。

一年足らずの衝突は呆気なく閉じていった。

 

傷口はほとんど閉じていて、もう何ともなくなっていたはずだった。ほとんど忘れることができていた。もう何年も前の話だから。

しかし、このタイミングでこれか。もういい、せめて私の耳に入らなければ良かったのだ。

胃の奥底の方をゆっくりとつねられるような痛みを覚える。

 

あなたはここから先もそうやって生きていく。そんなあなたが選んだ人はどんな顔をしているのだろうか。逞しく、己が人生の舵を持つことに何も感じず、希望に溢れた人間なのだろう。

 

それが、その事象が、その選択が、また途方もなく私を傷つけるのだ。私には価値がないと言われているようなものじゃないか。あなたはあなたの幸せを見つけられている。私はあなたの亡霊に囚われている。

もはや私に関心などないと理解しているにも関わらずこんな思考に陥ってしまう。

蹲って、燻っているのは私だけ。進めたはずの歩みは、あなたのはるか遠く後ろのマスにしかない。どう足掻こうとたどり着くことができない。

私にとっては刃で、足枷なのだ。あなたの存在そのものが。

 

いつか消えるはずだと信じたこの傷は時とともに深くなり、私自身を否定し続ける。

消し去ろうともがくたびに深みに嵌り、足を取られる。

このまま私はどこに行くのか。どうなるのか。どうにかしなければならない。どうにか。

価値の源泉、この頃頭を渦巻いていること

この頃頭を渦巻いていること。

 

①25歳という年齢

今年、25歳になる。これで四半世紀生きたことになる。

「25歳という年齢」はもっとさまざまな決断や選択を迷いなくできるものだと思っていたが、そうでもないらしい。

日々強烈に迷い、明日を諦めてしまいたくなりながら何とか生き延びている、そんな状況が続いている。

しかし、ここ数ヶ月で今の環境に急速に慣れた実感がある。

答えはわからずとも、「この過程には意味がある」と思えたり、「ここを通過すればもう少しで光が見える」と僅かな突破口を探すことができるようになった。

良くも悪くも失敗にまみれ、失敗に対する過剰な恐れが消えたことが影響していると思う。

自分が重ねて来た選択肢は間違いだったのかと疑いたくなることが多いが、自分だけが持てる価値はこれだ、と日々細かな修正を続けられるように生きていきたいものだ。

 

②表面的な美醜への辟易

学生の頃からの考えがより強くなってしまった。ルッキズムルッキズムで育った自分を心から辛く思い、ルッキズムで得をする人間に対する嫌悪感が日々大きくなっていく。

人間の美醜の感覚が苦しい。見た目が整った者の言うことが信用できない。彼らが自己責任論を振りかざそう日には、怒りがマグマのように吹き出す。

ただ、私も私の身が可愛い。そんな人間に少しでも取り入ろうとしてしまう。情けない。

同じフィールドで闘うのか、フィールドを降りるのか、別の価値で殴るのか。尊重することなど一生できそうにない。「若さ」や「見た目」などといったものに価値を感じてしまう自分が恥ずかしい。

ルッキズムとその弊害が失くなることは決してないだろう。どうすれば本能を飼い慣らせるのか。

 

③時間に対する考え方

仕事のおかげで今まで見ることができなかった世界が見えることには感謝している。しかし、ゆとりのない日々に慣れてしまうのは恐ろしい。

何のために生きているのか?何がしたいのか?もう一度見つめ直さなければ老いた時に後悔する。

既に、今の視点から見れば学生時代いかに無駄な時間を過ごしてしまったか、心が痛くなる時がある。

空虚に囚われた時間がなければ今の私がないのはわかる。しかし、明日に怯え続ける日々はそう長くは続かない。

どうすれば均衡が取れるのか?考え続ける必要がありそうだ。

思考停止

何故だか、うまく思考出来なくなっている。

目の前にやらねばならないことが溜まっていくのに、心臓ばかりがバクバクと速度を速め、次にどうすればいいのか分からなくなってしまう。

逃げたい、逃げたいという気持ちばかりが浮かんでは沈み、私には価値がない、私などいない方が良いという思想に支配される。

ただ毎日をやり過ごしてしまう。何にも関心を持てず、ただ重たい体を引きずりながら日々を垂れ流している。

私はどうすれば良いのだろうか?どうすれば幸せになれるのだろうか?そもそも幸せになりたいとも思えているのだろうか?

環境のせいにして逃げ続けている。どうにかこの考えを脱したいと思いながらも、毎日苦しみの中を溺れているような感覚だ。

どうすれば向き合っていることを楽しめるのだろうか?

 

私はいつからこんな感覚で生きるようになってしまったのだろうか?

 

 

冷たくもなくなった指先

虚空をさまよう指先はスマートフォンの上を滑った。全てがわたしの胸へと突き刺さる。返ってくる。

微量のアルコールは毒にもなりきれず、脳と目の前が煙るような感覚に襲われた。

愛とは?愛の形とは?少しずつ変わっていく。わからなくなってしまってからが本番だ。どう定義すればいいのか?やさしいふりをして変えた放った言葉は、朽ちてばらばらと崩れる。

僕は悔しかったんだと思う。自分の目の前で流れるドラマは誰にでもあるものだと思っていたし、自分が経験したことがないことにしか価値がないと思っていた。胸を張って生きることができていないのだ。

 

あなたはまた戯言を言っているのだろうか。手が冷たいだなんて。

元気にくたばってくれ。ずっと先まで瑞々しい笑顔を覗かせながら。

何度目かのさよならを吐きながら、一応明日へと時を進める。

 

季節の変わり目には魔が潜んでいると思う

凡庸すぎる悩みだとは理解しているが、季節の変わり目が苦手だ。特に、冬から春への移り変わりが苦しい。

全身の血が浮くような、重心が数十センチ上にズレてしまうような感覚に襲われる。体の内面がガタガタと音を立てて揺れている。継続的に半端な興奮状態にあるため、呼吸するだけで体力が持っていかれる。これがなかなか辛い。

生来散漫な方だが、より集中し辛くなっている感覚がある。頭ばかり下手に早く動き、首から下が付いていかないのだ。

毎度毎度この季節、浮き足立っているわけでもないのに精神だけがぐらついているのだ。

どうにか自分を保ちたいのだが、この魔とどう戦えばいいのだろうか。