痛み
流石に耐え難い痛みが降りかかってきたため、ここに残したい。
最早遠い過去以外の何者でもなくなった、私に巨大な跡を残したあなたが、人生を次のコマへと進めるらしい。人伝てに聞いた。
そうだ。もうあの人は私の何者でもない。そして私はあの人にとって何者でもない。しかし、私にとっては途方もなく大きな存在だ。
私が私の愚かしさに気づき、今こうして生きていられるのはあの人との衝突があったからだ。
限られた、狭い戦場の中で必死にもがき、足掻いて生きてきた私は、あの人の求めるものを一つも持っていなかった。
「どう生きるべきか」。それを考え続けていた彼女にとって、私は障害でしかなかったのだろう。
最期の言葉が今も耳から離れない。「このまま一緒にいるのは得策じゃないと思う」と。
何だ。何だよ得策って。合理的に私を切り捨てたとでも言いたげじゃないか。私は、私自身にもっと何かしらの価値があるものだと思っていた。何かしらの価値があって隣に置いてくれていると。
誠心誠意尽くしていたつもりだった。ただ、傍にいるには少しばかり形骸化していて、あなたが不意にどこか遠くにいってしまいそうなことに耐えられなかったのだ。その痛みを伝えると、あなたは私に嫌悪感を示した。その後はもう語るまでもないだろう。あなたは文字通り小さい嘘ばかり重ねて私を切り離した。
ここまで振り返って、ただの独りよがりだと言われればそれまでだと思う。もちろんわかっている。愛情ではなく、私は私を慰めていただけだと。あなたはそれに辟易しただけだと。解っているんだよ。
私は確かに愚かで、愛も、人生も、学びも、何もかも定義できていなかった。否、「未熟ながらも私はこんな答えを持っている」とすら言えていなかったのだ。
明日を望むことに怯えきって、絶望しきって、塞ぎ込んでいた日々。どう考えればいいのか分からず、恐る恐る踏み出した一歩の先にいたあなたに見惚れ、もう一つだけ勇気を出して答えに辿り着けたと思っていた。
私が欲しかったものはこれだと。あなただと。
あなたの傍でずっと、と思っていた。
思えば、それが最も重要なトリガーだったのではないか。
あなたは、文字通り忙しい人だった。一度だけ聞いたことがあったような気がする。「忙しくしてしまう質だ」と。
あなたは本当に依存先の多い人だった。だから私が卑しく、醜く見えたのだろう。「それで、あなたは何がしたいの?」と。
立ち止まって考えてみると、こんなありがちな話には何の意味もないと言われるかもしれない。
確かにその通りだよ。いくらでも言えばいい。誰にでもある凡庸な経験で、数ミリの価値もないことだ。解っている。
だが、目に見えて「否定すらしてもらえない」経験はこれが初めてだったのだ。最早関心がないのだと。一緒にいても仕方がない、価値がないと。
頭を殴られたような衝撃だった。思考を紡ぐことができなかった。「分かるよね」と。「もう終わりにするほかはないんだよ」と。
一年足らずの衝突は呆気なく閉じていった。
傷口はほとんど閉じていて、もう何ともなくなっていたはずだった。ほとんど忘れることができていた。もう何年も前の話だから。
しかし、このタイミングでこれか。もういい、せめて私の耳に入らなければ良かったのだ。
胃の奥底の方をゆっくりとつねられるような痛みを覚える。
あなたはここから先もそうやって生きていく。そんなあなたが選んだ人はどんな顔をしているのだろうか。逞しく、己が人生の舵を持つことに何も感じず、希望に溢れた人間なのだろう。
それが、その事象が、その選択が、また途方もなく私を傷つけるのだ。私には価値がないと言われているようなものじゃないか。あなたはあなたの幸せを見つけられている。私はあなたの亡霊に囚われている。
もはや私に関心などないと理解しているにも関わらずこんな思考に陥ってしまう。
蹲って、燻っているのは私だけ。進めたはずの歩みは、あなたのはるか遠く後ろのマスにしかない。どう足掻こうとたどり着くことができない。
私にとっては刃で、足枷なのだ。あなたの存在そのものが。
いつか消えるはずだと信じたこの傷は時とともに深くなり、私自身を否定し続ける。
消し去ろうともがくたびに深みに嵌り、足を取られる。
このまま私はどこに行くのか。どうなるのか。どうにかしなければならない。どうにか。