覚え書き

有象無象の社会人のうちの一人が考えを整理する場所です。同じようなことを考えている方の役に立てれば幸いです。

「後出しジャンケン」について

後出しジャンケンについて考えている。何とも可愛げのない、可愛げのない、姑息で汚い手段である。しかし同時に、これを使いこなす者がいることも忘れてはならないだろう。

そういった効率の良い者は、後出しジャンケンと言うより、自分の関心ある領域においての異なる物事や見解を吸収する力に長けているだけなのだろう。だから自分のような凡人には、使いこなしているように見える。

何にしろ、その場しのぎ的な手段は全く連続性がなく、場当たりや思いつきは自分の首を絞める。たった20年しか生きてはいないが、それだけは確信している。

自分という人間が本当に大切にしたいものや本当に関心のあるもの、それらについてどんよくに吸収し続けるのは確実にやるべきだが、

その上で決して場当たり的な行動は取るべきでないのだろう。

思えば、「ズルい」人なんていないはずだ。自らの関心の下に、あらゆる物事を吸収する準備や、自分自身に今何が必要なのかなどを見極めているからこそ、異なる見解や見識を吸収できるのであって、あらゆる準備を周到に行う計画性のある人間でしかない。

それを、自らがその領域に至っていなかったことを恥じ、悔やむ想いを転嫁して「ズルい」や「羨ましい」などというのは、もう最早自分自身が惨めすぎやしないか。

もっと己の一番深いところから湧き上がってくるものを前面に出して生き、そういった人間からあらゆることを吸収する貪欲さを持つべきなのだ。

自分と対話しながら、ヤツらの背中を必死で追う。やってやらなければならないのだ。