24回目の始まり
あっという間に24回目の年が始まった。去年のことを少し思い出してみようと思う。
・世間のざわめきに耐えられず、心身に不調をきたしていた。社会にまともに溶け込んで数ヶ月の中、私たちの2020年を壊したウイルスに直面し、右往左往するばかりだった。
加えて、自分がいかに目の前のことに集中できていないかを痛感した。例えば、短時間で自分の行動を誰でもわかる形に明文化すること、目の前に分からないことがあればそのままにしてはならないこと、様々なことを自分なりに定義し、一旦は許可を取って自分の方向性を示しながら進めなければならないこと。
そしてこれは何かにやらされることではない。何事にも取り組む時も根底にあるべきものだ。その方が私自身が幸せになれると実感したから。
私がずっと追いかけ続けている背中、もう影も形も忘れてしまったけれども、悔しくて悔しくてたまらず走っていた頃の自分に教えたい。しかし、手痛い思いをしなければ覚えないことが多い。その事実に少しだけ笑って、私自身を撫でてやらなければならないのだろう。
ともあれ、不調も失敗も、何かもこの天災のせいにしてヤケになってしまいたかったところから何とか自分を保つことができたのは、趣味、恋人、友人のおかげだと思う。
・趣味への向き合い方が深化できたと思う。今までは自分の記憶の中や、狭い箱庭の中でしか動けなかったが、今は海を見にいく勇気が出てきた。
そして自分の足を何度も使って覚えていく覚悟ができた。
もちろん勝ち負けではないけれど、自分が勝ち筋だと思う行動要件を何度も見直していく、その過程で磨かれるものもあるのだと思えた。
上記のウイルスのせいで動き回ることが憚られる世情ではあるが、チャンスを狙って頭と足を動かし続けたい。
・1年間を何となく過ごしてしまった感じがある。ここは反省している。
伏していた時も、行動していた時も、目の前のことに必死で、広い視野で考えることができていなかったように思う。
今がとにかく取り組む時期なのはもちろんだが、それ以上に自分をどう育てていくべきなのか、立ち止まって考えることができると良い。
一個の考えに思い至った時は、必ずそれを批判する考えを用意するのだ。恩師が教えてくれた正しい批評、反駁を実践するのだ。
・経験にペイできた。今まではこせついた金の使い方をしていた自覚があるが、本物を知りにいくことができた。
三つ星の次の日は食事抜きでも良い。偏っていて良い。自分を作り上げるものに対価を払う、フリーライドで得られるものは誰でもアクセス可能なのだ。
大きく、上記4点だろうか。
自分自身に強く絶望する日も少なくないが、心を保ち、少しでも私がなりたいと思う姿へ向かって。
当面はまた背中を追うだろう。ずっと悔しいと思えますように。いまはそれでいい。
今年も歩いて、止まって、走っていられますように。